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今日を楽しめ

Carpe Diem(今日をつかめ→今日を楽しめ)という言葉。
14、15、16世紀、ヨーロッパがペストの流行などから混沌としていて、それでいて文化が再誕生(ルネサンス)、正確にはイスラムの文化を受け入れることにより宗教的フィールドを科学的フィールドが覆いかぶさりはじめたころ、ヨーロッパ世界はまだラテン語が勉強の基本の言語でした。現代の英語のようなものです。ドイツではパラケルススといった医学者がラテン語を使わない授業を行ったり、マニエリスムが誕生したこと、宗教革命が起きたのもローマが築き上げていたバベルの塔の崩壊が迫り、新たなる時代が迫っていたからともいえるのでしょう。
そんななか、16、17世紀でもエドマンド・スペンサーやロバート・ヘリックのような今日を楽しめいったCarpe Diemの考え方は、小野小町の一句を髣髴させる美しいものです。2006年、私は2004年から続けたこの身勝手極まりない生活の原点にあったものが、今を大切にするというものでした。

『昨日、明日より今日という日が一番よき日であるように。』

未来のことなどわかりません。過去のことはよければ、さらによくし、悪ければよくする。ただそれだけのことなのです。

いらないものもたくさん持っています。でも、その一つ一つは大切にしていきたいものです。それが、今日という日を形作った要素でもあるのですから。

2006年、リセットする気などありません。ただ新しいことをするための基盤を毎日、しっかりとこなしていきたいと考えています。

2007年、みなさんにとってよい年となりますように。

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写真:ギニア・コナクリにて
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-31 01:03 | What I think about

もう少しだけ

先日、1年以上ぶりに友人からメールがきました。
前に失礼なことをしてしまったこともあり、その後、数度のメールのやり取りの後、完全に音沙汰がなくなっていました。

「今度遊びにおいで」

短い文章でしたが、うれしいことでした。
このところ精神的に参っていたこともあり、お酒を飲む機会にはいつもより飲みすぎてしまう傾向にありました。電車ではっと起きると目的地ということが多々ありました。
どうやら早いところ就職でも決めて、みなに報告をしなければならないようです。
パーティだとかは苦手ですが、気の合う友人らと少し浮かれたいと思っています。

それでは、よいお年を。

下の写真は私が一番好きな場所のひとつです。
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-30 16:36 | What I think about

バックパッカーのつもりは

帰国して早3ヶ月。財布の中身は減る一方で、体重は増える一方です。
この3ヶ月、古くからの友人、研究室の友人、前の職場の友人・諸先輩方、旅で知り合った友人との再会がありました。多いのは、やはり旅の間で会った方。私もバックパッカーであるという風に言われます。実は、もう気にしないようにしているのですが、私はバックパックを背負ってもバックパッカーの意識はないのです。正確にいうと、バックパッカーと言われるのがあまりうれしくないのです。もちろん、安いドミトリーの宿に泊まってもバックパッカーの意識はないのです。たくさんの旅人に会いました。もちろんその中にはバックパッカーは多くいます。みなとやっていることは同じようなものです。ただ、言葉のニュアンスの問題なように思います。私が受け付けたくない部分がこのバックパッカーという言葉の一般的な、あるいは、正確に言うと主観的な意味に内包されているのが原因だと思っています。
こんなことを言っているうちはまだ毒が抜けきらないように思います。今年中になんとかしなければ。
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-25 12:47 | What I think about

南極帰還から1周年

南極に去年の12月7日から16日まで行っていました。懐かしいものです。素人の人らであるため、きちんと見る場所が決まっていたりなどしていました。そして、無茶をしなければ、基本はRPGのように範囲が決まっているものです。
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上記の白板と違う場所のものですが、これだけたくさんのペンギン。うきうきしました。私の壊れかけのカメラも機能したのが救いでした。
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また、南極の写真を少しずつアップする予定です。
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-15 23:58 | Central America

ガーナの野口さん

ガーナに行って、日本人としてこの庭園に行かないのはもったいない。
人間的に問題があっても、結果を出せばいいのです。
シビビーン・ラプソディでも、「えらけりゃクロでもシロになる」とはよく言ったものです。
しかしながら、彼のセリフはなかなかいいものがあります。
「絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。 」
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-13 17:13 | Africa

ガーナで食事を。

いろいろ食べましたとは言えませんが、写真にとったものを公開です。
チャーハン。普通にチャーハンでした。
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ご飯におくらスープをかけたもの。これがうまい。魚の骨をのけながらでしたが、この国も特徴的なのは、肉も入っていること。
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リ・ソース。ガーナではライス・アンド・シチューです。私は卵をいつもつけました。お腹がいたくなる、吐き気がする日々が繰り返されたから。
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豆のスープ。とにかく安い。腹にたまらない。休日でなにも食べることができないという事態にあきらめて入ってたべた。でんぷん質がつよい味。
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デイト・ホテルのパイナップルジュース。激ウマイ。
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-11 17:32 | Africa

エルミナ、奴隷の城

西アフリカの旅の終わりはどういうわけだか、ガーナになってしまった。一応、予定通り、エルミナは行っておこうということで、タコラディからケープコースト経由で行ってみた。
港がよい。とにかく活気がある。
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中もなかなかよく残っている。
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この場所は裸の女性奴隷を白人の支配者が上から品定めした場所。角度的にはこんなものだと思う。下からも見てみたが、感慨がわかない。ただ、上から眺めるという場所に関しては、どういうわけだか、見分けがつくものなのだろうか、などと思ってしまった。
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ポルトガルがはじめに作ったこの城はたくさんの国によって支配された。
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でも、日本の城と同様に思うのが意外と、住まいである面から考えても大きいということは大きいが、こんなものかな、という印象もある。
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-08 17:53 | Africa

ケープコースト 入り口

奴隷が運び出された城。
ドラマはたくさんあったようです。たくさんの奴隷はここで1メートルにもなる排泄物の中で、ここから新大陸に向かう順番を待っていたようです。女性が夜伽をさせられるための場所に連れてこられる部屋もありました。欧米人の女性は旦那に付き添ってきて、姦通したのではと疑われ自殺するなど、ドロドロした世界はあったようです。
今は、ガーナ人によるガイドで伝えられます。欧米人の民族信仰に対する理解が乏しかったこともあるのか、神棚についての質問などがあり、なかなか興味深いものでした。
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昔、バイトで、ある先輩のセリフを使ったことあります。
「ここに入って出てきた人はいません。なぜなら、ここは入り口だから。」
ここから出た奴隷は二度と自分の国に戻ることはなかったようです。
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今は、外側には帰ってきたような意味を込めてマークが貼られています。
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-07 12:12 | Africa

椅子をもって

アノキ病院から出たところにグリコのおまけのような像があった。おもわずカメラを出して撮ってみる。
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おばちゃんたちがよってきて見せてというものだから、見せてあげると「わたしたちも撮って」とのこと。そして、「ちょうだい。」。ガーナでデベロップって可能だったか?メールなりであれば可能であることを話すものの、言葉通じない。学生の男の子を介して話すものの、学生、「わからんから、いいよ。」といい、おばちゃんたちもニコニコ帰っていった。なんだか、物足りないような気分だった。
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-06 11:17 | Africa

アフリカのエクスカリバー

アフリカのエクスカリバーことオコンフォ・アノキ・ソードがあるのは病院の敷地内。抜けないので敷地の中に建物がを作ったようです。モハメド・アリ(カシアス・クレイ)でさえも抜けなかったとガイドは話をしてくれた。柄だけで200ミリくらいはあるのではないかと思う。伝統的なアサンテの剣。外に出ると、一人の女性に声をかけられる。宮殿でチケットを売っていた女性。どういうわけだか、私のことを覚えていてくれたようでうれしい。ベセアセやエジスの話を少しする。ちなみに、私は宮殿にいた女性であることに気が付かなかった。
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こちらは、アノキ病院の手前にあるクラフトアートキャンパスの一角にある博物館。ガイドの女性が少し怖かったが、非常に親切な方で、「あなた今言ったことわかった?」と何度も言われる。私の英語力のなさというのも問題なのだが、このガーナのガイドは妙に早口で私には追いつけないことが多かったため、確認されるのは助かった。
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Gye Nyame、神の象徴なのだとか。どこでも見かける。お札にも当然かかれている。こぶしマークがそれ。
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兵器博物館。ここは、当初、行きたかったのだが、あきらめた博物館だった。というのは、クマシおよび近郊には見所が多く、曜日と友人との再会、バスの出発時刻、そしてなにより、宿の居心地により出発を決心していたため、どうにも行けそうもなかったのだ。しかし、ここは行くべきだったのだろう、バスが出発時刻遅れて出なければならない事態になってしまい、博物館に行くことが可能となった。ガイドは丁寧で聞きやすかった。日本軍とビルマで戦った第二次大戦の資料もあった。兌換ルピーもあった。彼女は日本のお金と思っていたようだ。
いずれにせよ、なかなか面白い博物館だった。
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by smwhr4thtmbng | 2006-12-05 23:25 | Africa