レゴスからベナンのコトヌーに抜ける国境は今までで最悪だった。ナイジェリアへ抜ける日本人旅人が何人も苦労している話を聞いていたが、誰も賄賂は払っていない。ただ、ナイジェリア側のイミグレは距離がそれほどないのにもかかわらず、誰が正規の係りなのかもわからない状況の中、正規の人まで賄賂要求をしてくる。タクシーは渋滞なみに動く。ただこの進行方向はいい。なぜなら、日本大使館がナイジェリアにはある。私は逆でベナンに抜ける。
ナイジェリアの国境は話にならないほどタフで、10メートル、20メートルを進むのにひどく時間がかかる。私のタクシーは同行者が、さらに前の検問で1時間以上尋問を受けていたこともあり、相当なロスタイムを背負っていた。彼のECOWASのパスポート(水色)が他の人のものと若干違っていた。少し古くに作っていたとかいうのでつくりが違っていたようだ。彼だけ、国境にオカダ(バイクタクシー)で向かい待っていた。私はこの10メートルから20メートルではもめた。私は出国であるのにもかかわらず、イエローカードの提示を要求されたのだ。しかも、ものすごいパワーハラスメントをしてくるK-1ファイターといったようなバッジももっていないおっさん。はじめは聞くだけ聞いていた。ムカムカしてきた。キレた。 「必要な予防接種に関してはこちらも調査をWebから得ている。日本大使館に電話をして必要か否かの確認を取ってみてください。」 「とにかくあなたが取り上げたイエローカードを私に返してください。」 丁寧な応答が途中で崩れて、上記の発言をかなり詰め寄って強く言ってしまった。最後に、 「あなたの名前はなんですか?きちんと日本の大使館に報告します。」 といったら、K-1ファイターのおっさんが逆ギレした。 「おまえは、きちがいか?」 イエローカードはその後とり戻したが、少し破れた。我ながら怖いことをしたものだ。少しランゲルハンス島が活性化してしまった。 そこからも休憩はなかった。数箇所あるナイジェリア側のイミグレは片っ端からすべて賄賂要求をしてきた。私のヴィザが発給の日から1ヶ月を過ぎていることをしてくる人もいた。有効期限は1ヶ月でも、これは、入国までに1ヶ月であり、ヴィザには入国時にプレゼンした日数ということになっている。当然もめた。 「あなたは、英語が理解できますか?読めれば、この意味はわかりますよね。」 下っ端は上司に確認する。私もついていく。上司が渋ると、私は繰り返す。その記載の部分を指差して、そして読み返す。 スタンプ。ぽん。 イエローカードやら荷物検査やら、くだらない賄賂要求をかいくぐり、いきついた最後のは楽に、「名前は?日本の大使館に国境の業務をしっかり報告しておくよ。」 で抜けた。 しかし!!!!! この後が悪夢だった。なんといっても、ベナンの国境。英語が余裕で通じる。しかし、賄賂なしが通じない。金を持っていることがわかっているから、絶対に折れない。しかも、この先の検問にはスタンプ確認もある。 「5000CFA!」 わけわからない。10ドルをよこせという。こちらはヴィザを持っているのに通れない。窓口に手を入れると定規で叩こうとしてくる。お互いがまるで中国人の厨房のようなわめきあいになる。2人いて一人でもまともかとおもいきや、両方ともだめ。 次々、賄賂を払うアフリカンに抜かれていく。カメルーン人がスタンプをもらいながら言った。 「国境は、マネーコレクトの場所だ!!」 泣いていた。大の大人で、アフリカ特有の無駄な筋肉をつけた、これまたファイターが足早に車に戻ろうとした。マネーコレクターたちは、いや国境の役人は急いでとびでてきて、引き止めぶちキレタ。カメルーン人が泣きながら、 「お金がない人らが、ヴィザも持っていてなんで余計なお金をとられなきゃいけないんだ。こっちは、ナイジェリアを越えてやっとここまできたのに・・・」うんぬんかんぬん。 そうだ、そうだもっといってやれ、と心の中でおもってはいたが、お金は戻るわけもなく、彼はベナン国内に向かった。次々くる人を味方にしようと、英語やらフランス語で近くの人に話しかけながら、ヴィザの説明をした。窓口にはナイラが散在していてあきらかな賄賂の金が見える。誰も反抗できない。私の場合は、ベナンに入国がはじめてだから、別料金が必要なのだとか言っていた。そんなことはないのも知っているため、説明をする。勝てるわけない。理屈などないのだから。そして、なんといっても、日本大使館がベナンにない。こんな国に支援などするべきではないと心の底から思った。 そして、私は1時間くらいたったころに、仕方なく、他の人のすすめに従い200ナイラをパスポートにはさんでスタンプをもらった。200円くらい。腹立ちは収まらなかった。荷物の載った車を同行のナイジェリア人ムスリムに教えてもらって向かった。「こんなもんだよ。世界が悪いんだよ。」。そんなもんかなのだろうか。 今度は両替で時間をとった。みな大金をもってナイラからCFAに両替をしていた。交渉でふたたび相当な時間を使った。ドライバーは私に愚痴っていた。なぜ私に。私が愚痴りたいくらいだった。 そうこうしてまで入ったベナン。観光はしました。 ウィダーに行きました。奴隷貿易の拠点であり、ヴードゥーの遺産の多く残る場所です。 パイソン寺。蛇を首に巻きつけられます。私には無理な話です。 郵便局の裏に実がなっていました。なんのだったのでしょう。 目印の教会。 ここの町の奴隷の道を私はミニバンでとおりました。4キロかそれ以上の道を白人の人たちが歩いていました。団体だったようです。私はどんなものかとかはわかりませんが、気楽な気分でやれるならいいですが、暑いのにするのはアホらしいのでやめました。歩いて彼ら(奴隷ら)の気持ちをわかちあうことをしようとしたのでしょうか。自分で精一杯の私はそういったヒューマニズムは興味本位でしかしないので日差しの強い中を半ズボンで半そでの行軍をしている彼らを見て、なんだかこの人たちは、日に焼ける度合いが黒人と白人とでは意味が違うことやらを考えていないのかな、だとかいう、冷めた目で見ていた。 アフリカ人が変わるためには、援助の仕方を考えることが必要だと私は思っている。無償でだとか、同情だとかばかり考えているのはどうかと思っている。彼らが歩きだせるようにすることは欧米人の仕事ではなく、彼らの問題であると思っている。この歩いている白人らはどういう立場なのかは、その服装なりの準備のなさ、先見のなさからもわかる。こういう人らが勘違いをするとおもっている。興味本位で歩く方がよっぽどいい。むしろ、私はその方が面白いとおもうし、歴史を感じるといった行為でおわれるから、よいのではないかと思う。感情移入もほどほどにしたいものだ。問題が根深いだけに、難しいと考えているから。
by smwhr4thtmbng
| 2006-11-24 14:10
| Africa
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